2014-06-01

戦国四君:信陵君(しんりょうくん)

 戦国四君の中で一番有名なのは、孟嘗君(もうしょうくん)でしょう。鶏鳴狗盗といった食客の助けにより秦国から痛快な脱出劇を演じたということで、当時から庶民の人気を博していたと思われます。しかしながら、史記にはちょっと風貌をからかわれた程度で村人を皆殺しにしたとの記述があり、斉の宰相という身分だけど実質やくざの親分ぽい人だったかもしれません。

 ともかく本書の時点では孟嘗君は世を去っていました。本書では残り三君のうち信陵君(しんりょうくん)が意外なほど重要な位置づけとなってしまいました。最初に史記から事跡を拾ったときは、そんなに重要な位置づけを考えていませんでした。
(事跡)
■秦国に攻められた邯鄲を助けた
■邯鄲にいたときに毛公(もうこう)、薛公(せつこう)と交わりを結んだ
■合従軍を起こして秦国を攻めた
■秦国の謀略で失脚し、ついには病死した
■劉邦が信陵君を祭った
こう見るとたしかに秦国との関わりが深いのですが、ストーリーを練っているうちに本書ではさらに深い関係図が出来上がりました(嬴政(えいせい)が後の始皇帝です:6月7日追記)。

相関図

 そもそもは、例によって史記の謎解きから始まっています。
疑問1.嬴子楚(えいしそ)の妻の趙姫は、秦国の攻撃を受けている邯鄲に置き去りにされながら、よく生きていられたものだ。
疑問2.脱出した嬴子楚は、咸陽で美人を愛して子を設けたが、その話は趙姫に伝わったのか? 伝わっていたとしたら趙姫は絶望しなかったのか?

 1については、誰かに庇護してもらったのだろうと想像できます。しかし誰に?
なにしろ秦国に攻められて邯鄲城内は「子を換えて食う(我が子は食えないので他人の子と交換して食う)」という有様。しかも邯鄲を攻める前に秦軍は四十万の投降兵を虐殺までしているので、邯鄲の民の恨みは尋常でなかったはず。仮に趙王が手出しするなと言ったとしても素直に言うことを聞くとも思えない。
 そこで、邯鄲の民が感謝感激している信陵君(自国の将軍を斬ってまで救助に駆けつけた人)の言うことならば、おとなしく聞いて手出ししなかったのではないかと考えました。ここまではそんなに突飛な考えではないと思います。

 さて疑問の2を考えたとき、もし絶望したのなら誰が慰めたのか。信陵君だったとしても不思議は無かろう、と考え、ここから例によって妄想が爆発しました。子ができたのではないか、その子はどうなった、信陵君が失脚してその子は何か復讐を考えたのか、と次々に妄想の連鎖によってストーリーが浮かび上がりました。
 さらに信陵君と交わりを結んだ毛公(もうこう)から李信や楊端和(ようたんわ)につながり、上図のような関係が出来上がりました。結果として、物語の始めの方の邯鄲攻防から、終わりの方の劉邦が祭る話まで、けっこう幅広く信陵君の名前が登場することとなりました。

テーマ : 歴史・時代小説
ジャンル : 本・雑誌

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浅水伸彦

Author:浅水伸彦
李信の小説を読みたいのになかなか出てこないので、自分で書いてしまいました。

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