2015-06-14

荊軻はどう斬られたか

 荊軻は始皇帝を暗殺しようとして失敗した人です。史記(刺客列伝)に暗殺の場面が描かれていますが、どうも最後が釈然としません。 剣を抜くのもおぼつかない始皇帝が荊軻をどうやって切ったのでしょうか。荊軻の武器は匕首(あいくち)なので、剣より短くかったのは確かですが、武芸を修めていれば少なくとも相打ち覚悟で刺すことができるような気がします。

 少なくとも史記には、荊軻は「読書・撃剣を好み」と書かいてあるので、剣術がまるきり不得手な人ではなかったと思います。最後「左股」を斬られた時には始皇帝との距離は1m程度だったでしょうから、ここで右足でどうにか飛びつけなかったのか、あるいはその至近距離のうちに匕首を投げられなかったのでしょうか。

 そこでふと思いついたのは、そもそも周囲の人物は剣を帯びることを禁じられていたとはいえ、「素手で打ちかかった」者はいたようで、何人かで囲めば荊軻に組み付くことはできたかも知れません。身動きがままならない状態であれば、始皇帝が斬れたとしても不思議ありません。荊軻は最後に匕首を投げつけますが、これも腕とか押さえつけられた状態で、手首を動かして投げつけるのが精いっぱいだったとすれば近距離でも外れても不思議ありません。
 その他に始皇帝が剣技を修めていたとか、荊軻は実は撃剣は好きだったが熟達はしてなかったとか、いろいろなことを考えましたが、やはり周囲の人に取り押さえられていたというのが一番しっくりします。

 さて、本書ではこの事件をきっかけに楊端和の長男の楊樛(ようきゅう)が護衛の近侍として仕えることになります。これについては「楊樛と七刻石」(2014-10-20掲載)にも書いてあります。

テーマ : 歴史・時代小説
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

浅水伸彦

Author:浅水伸彦
李信の小説を読みたいのになかなか出てこないので、自分で書いてしまいました。

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR