2014-10-20

楊樛(ようきゅう)と七刻石

 始皇帝は沿岸部の山々に七つの石碑を建てています。始皇七刻石と呼ばれているこれらの石碑には、秦の徳の高さが刻まれました。

 その内の瑯琊(ろうや)山に建てた石碑には、同行した11人の名も一緒に刻まれました。筆頭は列侯の王離で、次に王賁と続き、最後は五大夫の楊樛となっていたようです。列侯というのは最高位の爵位二十級、五大夫は爵位九級で官爵としては一番下の級です(一般庶民は八級までしか得られない)。

 儒教的に言うと王賁より息子の王離が先にくるのは違和感がありますが、それはさておき、五大夫のような下っ端の名前が石碑に刻まれるというのは、よほど始皇帝の信任を得ていたからだと考えられます。つまり楊樛は皇帝のお気に入りだったと思われるのですが、楊樛に関する記述はほかに無く、どんな人物だったかは想像するしかありません。

 想像するしか無い・・・というところで例によって妄想が爆発し、
 ①出自は、王離のように重臣の息子という可能性がある。楊端和の息子だと言っても否定材料は無い。
 ②楊端和の息子なら剣技は優れていてもおかしくは無い。荊軻の暗殺から逃れた始皇帝が腕の立つ楊樛を護衛として仕えさせたとしても不思議は無い。
 ③始皇帝がお忍びで四人の武士と町に出かけたが、その内の一人は腕の立つ楊樛である方が自然だ。
 ④始皇帝の死を隠した趙高、李斯にとっては目障りな存在となろう。殉死に追いやって始末したとしても不思議は無い。

 という感じで、重臣の息子で剣技に優れた楊樛が始皇帝に信任され、それが最後に災いして殉死に追うやられるというストーリーが出来上がりました。

テーマ : 歴史・時代小説
ジャンル : 本・雑誌

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浅水伸彦

Author:浅水伸彦
李信の小説を読みたいのになかなか出てこないので、自分で書いてしまいました。

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