2014-12-14

張耳(ちょうじ):運は得やすけれど捨てる人また多し

 張耳(ちょうじ)は、李信と直接関わることがありません。しかし間接的な関わりは結構あります(下図参照)。なのでちょくちょく登場します。

張耳と李信の関わり

 この図の右半分は「史記」に記述があります。左半分は、李信が始皇帝に仕えているというところ以外は創造ですね。別に李信と張耳に関係を持たせる意図は無かったのですが、最後振り返ってみたら関係ができていたのです(^^;

 そもそも張耳について書き始めたのはページ不足を埋めるためでした。しかし書いているうちに色々と疑問が湧いてきました。特に劉邦が食客になった経緯については、「史記」にはいつからいつまでとか、どのような理由でとかは書かれていません。

 一般的なイメージで言うと食客というのは、単にそこで飯を食わせてもらっていたという関係ではないはずです。何か芸があったのか、任侠とか男気があったかしたはずです。でも劉邦に何か芸(特技)があったという記述はないし、イメージ的にも若いときは風来坊というかゴロツキというか、とても張耳(当時は県令)の客にふさわしいような気がしません。どうしようかと悩んだ末、「運気がある」というのも芸のうち、と考えてそれを売り込み文句にしました。

 もちろん運気というのは簡単に証明できる芸ではないので、張耳の食客の貫高(かんこう)がはねつけようとしますが、そのとき張耳が「運は得やすけれど捨てる人また多し」と言って劉邦を食客にします。もちろんそんな格言があるのかどうか私は知りませんが(^^;、ストーリー的には丸く収まりました。

テーマ : 歴史・時代小説
ジャンル : 本・雑誌

2014-12-30

武霊王(ぶれいおう)の幽鬼

 武霊王は、戦国時代の趙国六代目の王です。当時中国の貴族戦士は三人一組で戦車に乗って戦っていましたが、武霊王は機動力のある北方遊牧民をまねて馬に一人づつ乗る騎馬軍団を作りました。と言っても皆がすぐ同意したわけではありません。当時の服装は、いわゆる着物のよう両足が開きにくく馬にまたがりにくいものだったので、騎馬するためには蛮族(北方遊牧民)と同じ服装(胡服)をしなければならず、これが屈辱的だということで反対が多かったのです。結局武霊王は説得に成功して騎馬軍団を作り、以降その効果を見た他国でも騎馬軍団が作られるようになりました。

 まぁ、ここまでは知っている人は少なくないかもしれませんが、武霊王が最後に餓死して世間の笑いものになったとか、その死に場所が沙丘(さきゅう)だったというのを知っている人は少ないかもしれません。沙丘と聞けばピンとくるかもしれませんが、始皇帝が没した場所です。この関係を使わない手はないなと思い、最後に非業の死を遂げた武霊王が幽鬼となって現れることを思いつきました。

 ただし、唐突に武霊王が登場しても面白くないので、むしろ物語としては最初に李信が武霊王の幽鬼に出会うところをじっくりと描いています。ここのくだりを読めば、皆さんニヤッとして「先の展開が読めた」と思われるかもしれません。半ばネタばれ的な伏線ですが、とってつけたような伏線よりはずいぶんましになっていると思います。詳しくはご一読いただいて、ぜひニヤッとしてください(^^。

テーマ : 歴史・時代小説
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浅水伸彦

Author:浅水伸彦
李信の小説を読みたいのになかなか出てこないので、自分で書いてしまいました。

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