2014-05-14

李信の生涯は、史記の謎から浮かぶ

 最初「李信」の伝記を読みたいと思っていたわけですが、「史記」(中国の歴史書の第一)を読んでも事跡がわずか三つしか出てきません(史記・白起王翦(おうせん)列伝の中で脇役として語られている)。普通ならそれを読んで終わるところですが、その三つを元に謎解きを始めたところから深みにはまってしまいました。

 三つの事跡
前226年:始皇帝(この時点では秦王)を暗殺しようとした燕国の太子を捕らえた
    (ただし史記・始皇帝本紀の中では王賁(おうほん)が首を得たかのような記述があり、
     また史記・燕世家の中では燕王が斬ったかのような記述もある)
前225年:二十万の軍を率いて楚に進攻。途中までは順調だったが大敗して敗走した。
前222~221年:王賁(おうほん)が李信とともに燕・斉を破った。

 さて、李信の属した秦国は法律が厳しく、戦場に三日遅れて着けば打ち首が免れないほどです。大敗したら斬首は免れないと思われるし、仮に後の漢帝国のときのように大金を積んで死を免れても庶人に落ちて復帰は見込めないところです。
 しかし三年後には何事も無かったかのように燕・斉の攻撃に参加しています。王賁と並んで書かれているところを見ると、将軍クラスでの参加と考えられます。これは、よほど秦王の覚えめでたい人物でなければかなわないことでしょう。史記には家柄の記述が無く、燕国の太子を捕らえた以外の功も無い人物が何ゆえ覚えめでたかったのか、ここから李信の生涯の想像が始まりました。

 家柄も功も無いながら二十万の軍を授けられ、大敗の責任も厳罰でなかったとなると、武系の側近として信任されていたと考えるしかありません。しかし、側近として仕えたという記述も見当たらないので、もしかしたら表立って仕えたのでは無く「裏方」として仕えていたのではないかと考えました。
 一方、仕える相手の秦王(嬴政(えいせい))にも色々と謎があります。正当な血筋では無い(呂不韋(りょふい)の胤)と思わせる記述がありながら、誰も文句を言って無い(言えなかった)のは何故か、実は裏で暗闘があったのではないかと・・・。
 この二つをあわせて、実は李信は嬴政の即位前から裏方としてに仕えて信任され、一緒に暗闘を乗り切ったのでは無いかと想像しました。ここまでくると妄想に近いのかもしれませんが、そういう設定にすると次から次にストーリーが沸いてきました。

 暗闘を乗り切るにはそれなりの武芸も必要ですが、幸い史記・李将軍列伝には李家は代々射術を伝えていたとの記述があるので、やはり弓が得意だったのであろうと推察できます。しかし誰に習ったのかと考えたところで、弓が得意といえば匈奴であろうと思い浮かび、父親は元匈奴の将という設定にしました(この設定を李信の臨終においても生かすことができて大満足)。
 一方、嬴政の父親が人質として捕らえられていた趙国の邯鄲を脱出するときにも色々疑問が沸きました。秦国へ帰るメインルート(黄河沿い)は前線があって緊迫しているだろうから北へ大きく避けたのではないか考えました。そのルート上で李信の父親に脱出を助けられたとすれば、それをつてに李信が嬴政に仕えてもおかしくは無いなと想像が広がりました。

 結局、史記の色々な疑問点から想像が沸き、想像が更なる疑問と答え(想像)を呼び起こして連鎖が続き、結果としてストーリーが完成したのです。
 李信以外の人物間の確執とその顛末についても多く書きましたが、史記の謎はかくも想像を生み出す源泉であるという例として見てもらえれば幸いです。

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2014-05-24

呂后と九泉幻女

 私は物語を考えるときに、起こるべくして起こったという必然性に気をつけていて、ある出来事の原因・遠因まで考えるようにしています。たとえば呂后(劉邦の正妻)は、後年(本書の李信の死後)に残忍な振る舞いをして中国三大悪女にも数えられるようになりますが、そのような性格はどのように形成されたのか。また史記・高祖本紀には、劉邦がどこに身を隠しても「上のほうに運気がある(見える)」といって探し出すことができたのですが、そのような特技はどのようにして身についたのか。

 最初からそのような必然性を考えてストーリーを練る場合もありますが、呂后(呂雉(りょち))の性格は母親譲り、運気を見る能力は父親譲り、という設定は偶然そうなったのです。
 最初、蒙驁(もうごう)将軍が荘襄王(そうじょうおう)(始皇帝の先代の王)の遺勅を受けて嬴政(えいせい)(後の始皇帝)を倒そうとし、それを李信が防ぐというストーリーを考えていたときのことです。あっさりと阻止に成功してはつまらないと思って李信を始末しようとする妖女を登場させました。そして、結局その妖女が呂后の母親になったというストーリーが生まれました。

 この時、「妖女」という言葉からすぐに「九泉幻女」がひらめいたのです。水滸伝を読んだ人ならすぐにピンとくるでしょうが、九泉幻女は水滸伝に出てくる九天玄女をもじったものです。実は私が漢籍(の訳本)を読むきっかけとなったのが、中学生のころ日テレで放送していた水滸伝のドラマだったのです。当時読んだのは集英社版「世界文学全集」に収められていた佐藤一郎訳の七十回本で、社会人になってから講談社文庫 駒田信二訳の百二十回本を読みました。ともかく思い出深い水滸伝にちなんだ人物を登場させることができて、満足、満足。

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2014-06-01

戦国四君:信陵君(しんりょうくん)

 戦国四君の中で一番有名なのは、孟嘗君(もうしょうくん)でしょう。鶏鳴狗盗といった食客の助けにより秦国から痛快な脱出劇を演じたということで、当時から庶民の人気を博していたと思われます。しかしながら、史記にはちょっと風貌をからかわれた程度で村人を皆殺しにしたとの記述があり、斉の宰相という身分だけど実質やくざの親分ぽい人だったかもしれません。

 ともかく本書の時点では孟嘗君は世を去っていました。本書では残り三君のうち信陵君(しんりょうくん)が意外なほど重要な位置づけとなってしまいました。最初に史記から事跡を拾ったときは、そんなに重要な位置づけを考えていませんでした。
(事跡)
■秦国に攻められた邯鄲を助けた
■邯鄲にいたときに毛公(もうこう)、薛公(せつこう)と交わりを結んだ
■合従軍を起こして秦国を攻めた
■秦国の謀略で失脚し、ついには病死した
■劉邦が信陵君を祭った
こう見るとたしかに秦国との関わりが深いのですが、ストーリーを練っているうちに本書ではさらに深い関係図が出来上がりました(嬴政(えいせい)が後の始皇帝です:6月7日追記)。

相関図

 そもそもは、例によって史記の謎解きから始まっています。
疑問1.嬴子楚(えいしそ)の妻の趙姫は、秦国の攻撃を受けている邯鄲に置き去りにされながら、よく生きていられたものだ。
疑問2.脱出した嬴子楚は、咸陽で美人を愛して子を設けたが、その話は趙姫に伝わったのか? 伝わっていたとしたら趙姫は絶望しなかったのか?

 1については、誰かに庇護してもらったのだろうと想像できます。しかし誰に?
なにしろ秦国に攻められて邯鄲城内は「子を換えて食う(我が子は食えないので他人の子と交換して食う)」という有様。しかも邯鄲を攻める前に秦軍は四十万の投降兵を虐殺までしているので、邯鄲の民の恨みは尋常でなかったはず。仮に趙王が手出しするなと言ったとしても素直に言うことを聞くとも思えない。
 そこで、邯鄲の民が感謝感激している信陵君(自国の将軍を斬ってまで救助に駆けつけた人)の言うことならば、おとなしく聞いて手出ししなかったのではないかと考えました。ここまではそんなに突飛な考えではないと思います。

 さて疑問の2を考えたとき、もし絶望したのなら誰が慰めたのか。信陵君だったとしても不思議は無かろう、と考え、ここから例によって妄想が爆発しました。子ができたのではないか、その子はどうなった、信陵君が失脚してその子は何か復讐を考えたのか、と次々に妄想の連鎖によってストーリーが浮かび上がりました。
 さらに信陵君と交わりを結んだ毛公(もうこう)から李信や楊端和(ようたんわ)につながり、上図のような関係が出来上がりました。結果として、物語の始めの方の邯鄲攻防から、終わりの方の劉邦が祭る話まで、けっこう幅広く信陵君の名前が登場することとなりました。

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2014-06-16

廉頗(れんぱ)を恨む郭開

 漫画キングダムでは李信が廉頗(れんぱ)将軍と対決していますが、残念ながら(?)本書では対決しません。というか一度も会いません。でも李信の父が李家村に住み付いたのは廉頗将軍に敗れたためなので、廉頗がいなければ李信は生まれてこなかったかもしれません。つまり李信の出生に大きく影響した人物です。

 だからと言う訳ではありませんが、李信と一度も会わない割には本書の前半に廉頗がたびたび登場します。実は、郭開(かくかい)との確執を思いついて、それが気に入って書いてしまったのです。

 廉頗は、藺相如(りんしょうじょ)と刎頚(ふんけい)の友[相手に首を切られても良いというほどの仲]になった故事で知られていますが、実はこれを読んで一つ気になったことがあります。藺相如は廉頗のせいで都中の笑いものになりましたが、藺相如としては深慮遠謀ゆえの結果だったので廉頗を恨む気もちは無かったかも知れません。しかし主人を笑いものにされて悔しい思いをした部下が全員結果を納得したのだろうかというところで疑問が出てきました。

 もしかしたら納得せずに廉頗を恨み続けていた人物がいたのではないか、と考えたところで郭開に思い当たりました。史記には、「郭開は廉頗を嫌っていて、策謀によって廉頗の帰国を阻止した」というようなことが書かれています。何で嫌っていたかの説明は史記には書かれていませんが、藺相如の件で恨んでいたとしたらしっくりする気がしました。

 そう思いついたら例のごとく妄想が爆発しました。そんなに嫌っていたのなら、帰国だけでなくたびたび廉頗を失脚させようとしたに違いない、長平に派遣された廉頗が更迭された件、廉頗が内乱を起こした件、とにかく廉頗に不都合な事跡すべてに郭開が絡んでいたに違いない、と妄想の連鎖が始まり、結果として下表のように二人の確執が物語の中にたびたび出てくることになりました。確執と言っても郭開の一方的な恨みなので廉頗は気づかなかったかもしれませんが。

れんぱのかかわり

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2014-07-05

羌瘣(きょうかい)が姜維の先祖に?

 李信には三人の義兄弟がいます。その一人の羌瘣(きょうかい)について語るには、まず秦国の西に在住する羌族について述べねばなりますまい。
 中国周辺にはいろいろな民族がいて、裕福な中原(中国の中心地帯)を虎視眈々と狙っていました。有名なのは北方の匈奴(きょうど)で、史記にも列伝が作られているほどです。一方、西の羌(族)については後漢書にようやく列伝が記載される程度で、少なくとも私の中では知名度はいまひとつでした。

 しかし歴史上の登場は匈奴より早く、紀元前1046年ごろ周王朝が殷王朝を倒したときに羌族が周に手を貸しています。この事跡から、始めは羌族は比較的友好的で羌瘣も羌族を率いて秦に協力していた、という設定で考えていました。しかし、秦帝国が築いた長城が西の羌族との境まで伸びているし、李信の子孫の李広将軍も羌族と戦っていることから、羌族は匈奴同様に秦を悩ます民族だったという方が自然であろうと考えるようになりました。

 このとき困ったのが羌瘣です。同じ羌姓で無関係のまま放っておくのも何となく気持ち悪く、罪を犯して同族から逃げたとか、羌姓でしっくりする背景をいろいろ考えてみました。でもあんまり良いストーリーは思いつかず、それならいっそ無関係であることを強調するストーリーにするかと考えました。まず秦王に「羌(族)は羌(瘣)をもって制す」と言わしめて両者を戦わせておいた上で、部下から見れば上官も敵も羌とあっては不信感が拭いきれず、ついに羌瘣が姜瘣に改姓せざるを得なかったとしました。

 その後、姜瘣は負傷して冀県(きけん)に引きこもり、そこで子孫が豪族として栄えると書きました。それ以上は書いてありませんが、三国志の熱烈なファンなら姜姓で冀県の豪族といえば英雄の姜維(きょうい)だろうと思い浮かべるかもしれません。さすがにこれは、こじつけが過ぎるとは思いましたが、李信と家族ぐるみのお付き合いとなった羌瘣に有名な子孫がいないのは寂しいなと思って、まぁこれぐらいの座興は許してねって感じで書きました。反発する人もいるかもしれませんので、はっきり先祖だとは書きませんでしたが(^^;

追伸(謎):キングダムの羌瘣ファンの人へ。ゴメンなさい、ゴメンなさい、ゴメンなさい(^^;

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浅水伸彦

Author:浅水伸彦
李信の小説を読みたいのになかなか出てこないので、自分で書いてしまいました。

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